「失敗しちゃった!」こんなときに使いたい言葉のひとつに「弘法にも筆の誤り」がありますね。
だって、この言葉には「珍しい失敗」という意味があるから…
今回は、そんな言葉である「弘法にも筆の誤り」を紹介していきます!
有名な言葉なので、耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
どんな過程があって生まれてきたのか言葉なのか?
どんな場面で・どんなふうに使用するのが、正しい使い方なのか?など。
実生活で使うことを想定して、さまざまな角度から掘り下げていきますよ!
まずは、意味と読み方から見ていきましょう。
弘法にも筆の誤りの意味・読み方!
と、いうことは「弘法」という人は、「筆に長じた人」ということになりますね。
でも、「筆に長じる」とは、一体どういうことなのでしょうか?
次の章で、言葉の成り立ちを見ていくことにしましょう。
弘法にも筆の誤りの語源・由来とは?
「弘法」とは、「弘法大師 空海」のことです。
ちなみに、「弘法大師」とは「空海」の諡号(しごう:貴人や高徳の人の死後におくる名前。)。
「弘法大師は」平安時代に「真言宗」を開いた僧として有名ですが、「三筆」の一人でもあります。
(「三筆」とは、日本の書道史上の能書のうちで最も優れた3人の並称。あとの二人は嵯峨天皇、橘逸勢)
「三筆」の一人である「弘法大師」が、文字を書き間違えたこと。
簡単に言えば、「偉大な人が珍しく間違えた。」こちらが「弘法にも筆の誤り」の語源ですね。
では、「今昔物語」に書かれている、語源となったお話を紹介しますね。
ちなみに、原文では「亦、応天門ノ額打付テ後、是ヲ見ルニ、初ノ字ノ点既ニ落失タリ」となっております。
実は、このお話には続きがあります。
ことわざでは「その道に長じた人でも時には失敗をすることがある。」となっており、「失敗」にスポットが当たってしまっています。
しかし、語源となった物語の中では、弘法大師はきちんと自分で後始末をしていたんですね(*´▽`*)
弘法にも筆の誤りの使い方・例文
「弘法にも筆の誤り」の使い方は、「その道に長じた人でも時には失敗をすることがある。」という意味で使うのが基本的な使い方です。
しかし、「凄い人でも失敗をすることがあるのだから、自分が失敗しても仕方ないじゃないか!」といった、言い訳じみた使い方をする場合があります。
例文をあげてみますので、どちらの使い方をしているのかを一緒に見ていきましょう。
ふたつの例文を見ていただきました。
「その道に長じた人でも時には失敗をすることがある。」という意味で使っている例文でしたね。
続いて、「言い訳」として「弘法にも筆の誤り」を使っている例文です。
言い訳に使う「弘法にも筆の誤り」は、なんだか見苦しいですね( ̄▽ ̄;)
と、このように「弘法にも筆の誤り」を使います。
「言い訳」として使うより、「たまたましてしまった失敗」「珍しい失敗」を表す場合に使いたいものですね。
まとめ
いかがでしたか?
「弘法にも筆の誤り」の意味や語源・使い方を見てきました。
「失敗」を表す慣用句やことわざは他にもこんなものがあります。
- 猿も木から落ちる:その道に長じた者でも、時には失敗をすることがあるというたとえ。
- 河童の川流れ:その道の名人でも、時には失敗することがあることのたとえ。
- 上手の手から水が漏れる: どんなに上手な人でも、ときには失敗することがあるというたとえ。
- 千慮(せんりょ)の一失(いっしつ):どんな知者でも、多くの考えのうちには一つぐらいは誤りもあるということ。十分に考えていても、思いがけない失敗があること。
- 天狗の飛び損ない:日ごろ自慢している者が、油断して失敗してしまうことのたとえ。
もちろん、英語で表現することもできます。
「Even Homer sometimes nods.(優れたホメロスさえも、ときには居眠りをする)」
実はこちらは、英語のことわざなんです。
ホメロスとは、叙事詩「イリアス」などを残したと言われている、古代ギリシャの詩人。
日本では「失敗」の代表格を「書き間違い」としましたが、外国では「居眠り」になってしまいましたね(*´▽`*)
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