「いったい何回同じことで怒られてると思ってる!仏の顔も三度までっていうだろう。本当にいい加減にしなさい!」
なんてセリフが聞こえてきそうな場面って結構ありますよね。

学校で先生に怒られている生徒?

会社で上司に注意されている部下?

親に怒られている子どもなのかも?


仏の顔も三度まで


生活の中で多くのシーンで使われている言葉「仏の顔も三度まで」。
実は、意味を勘違いされがちな言葉なのですよ!

間違った使い方をして恥をかかないためにも、「仏の顔も三度まで」の意味や語源・使い方を見ていきましょう!



仏の顔も三度までの意味・読み方!


「仏の顔も三度まで」「ほとけのかおもさんどまで」と読みます。

意味は、「どんなに温厚な人でも、何度も無礼な仕打ちや失礼なことをされれば怒り出すもの。」です。



「仏の顔も三度」とも言われますね。

「三度」とは言いますが、決して「三度目に怒る」や「三度なら許してもらえる」という意味ではありません
この勘違いは意外と多いので気を付けましょうね。

では、どのようにして「仏の顔も三度まで」という言葉が生まれたのでしょうか?

次の章で、言葉の成り立ちを見ていきましょう。


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仏の顔も三度までの語源・由来とは?

「仏の顔も三度まで」の語源は仏様に関係にあります。

「仏」という言葉が入っているので、当然と言えば当然ですね(*´▽`*)

ここでいう、「仏」とは「お釈迦様(ゴータマ・シッダールタ)」のことです。
そして、「ゴータマ・シッダールタ」のこんな行いを描いた物語が語源と言われています。

お釈迦様が生まれた小さな国である釈迦国の隣に、コーサラ国という大きな国がありました。

コーサラ国の国王は釈迦国から妃を迎えたいと考え、王族の娘を差し出すようにと要求しました。

しかし釈迦国の王や家臣は、王族の娘を嫁がせる事を快く思わず、身分の低い娘を偽ってコーサラ国に嫁がせたのです。

やがて、国王と娘との間には王子が生まれました。

しかし、王子の母親の身分が本当は低いものであったことが知れ渡ることに・・・。

王子は蔑まれることになり、「国王になった暁には、釈迦国を滅ぼしてやる。」という思いをいだくようになりました。

それから、国王になった王子は釈迦国に兵をおくります。

これを聞いた、ゴータマ・シッダールタはコーサラ国から釈迦国へと通じる1本道にある木の下に座禅をし、兵たちが通るのを待ったのです。

この行いの真意は、コーサラ国王が兵を率いその前を通りかかったときに「遠征の時に僧に会ったなら兵を撤退させよ」という言い伝えを思い出させるためのものでした。

その教えの通り、コーサラ国王は兵を撤退させるのですが怒りが抑えられず再び出兵するのです。
そしてまた、ゴータマ・シッダールタも再び同じ方法で、兵を撤退させます。

さらに3度目も同じことが繰り返されるのですが、とうとう4度目には「もともとの原因は釈迦国にあるのだ。」と因果応報も手伝い、兵を撤退させることをあきらめてしまいました。



というお話が、「仏の顔も三度まで」の語源になっています。

はじめは語源の通り「何度も許されるわけではない。」という戒めの言葉でした。

しかし時代とともに「何度も無礼な仕打ちや失礼なことをされれば怒り出すもの。」へと意味が転じていったのですね。

ここまでで、意味と語源を深く知ることができました。

では、実際にはどんな場面で使うことができるのでしょうか?


仏の顔も三度まで

仏の顔も三度までの使い方・例文!

それでは「仏の顔も三度まで」を使った例文を紹介していきます。

また待ち合わせに遅刻したらしいね…

いくら優しい彼だからって、あなた甘えすぎじゃない。

仏の顔も三度までって言葉を知らないの



何度も失礼なことをするもんじゃない!と「注意」の言葉として、「仏の顔も三度まで」を使っていますね。

他にはどんな使い方があるのでしょうか?

いつもは注意だけで済ませてくれる、先生にとうとう怒られてしまった。

仏の顔も三度までってことかぁ

いや、課題を忘れたのって三度どころで済まないもんなぁ…



「何度も失敗をしてしまった。」と反省の意味で、使っています。
そして、ここで注目すべき点は回数です。

「三度どころではない」となっていますね。

意味にも「何度も無礼な仕打ちや失礼なことをされれば」とあるとおり「三度」と限定しているわけではありません。

三度という回数ではなく「何度も許されるわけではない」という戒めの言葉ということを覚えておきましょうね。

もう許さない!

仏の顔も三度までだ

いったい今まで何回、おまえにこんな仕打ちをされたと思っているんだ!



「怒りの大きさ」を表すために「仏の顔も三度まで」を使っていますね。

1回や2回は「仕方がないなぁ。」と見逃してきてくれたことや小さなことも「ものには限度がある」ものです。忘れてはいけませんね。


と、このように「仏の顔も三度まで」を使います。

何度も同じ失敗を繰り返されたときや繰り返してしまったときなどに、「仏の顔も三度まで」を使って状況を言い表してみましょう。

「何度か我慢した」という意味の言葉を付け加えることで、事の重大さを強調する事ができるんじゃないでしょうか。


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まとめ

いかがでしたか?

「仏の顔も三度まで」の意味や語源・使い方を紹介してきました。

最後になりましたが、「仏の顔も三度まで」の類語と英語表現をご紹介しますね。

類語はこちらになります。

  • うさぎも七日なぶればかみつく:どんなにおとなしい者も限度をこえれば怒り出すことのたとえ。
  • 地蔵の顔も三度:どんな寛大な人でもひどいことを何度もされたら怒るものだ。
  • 堪忍袋の緒が切れる:じっとこらえていた怒りが爆発すること。

などです。


英語表現は、「To try the patience of a saint.(聖人の忍耐を試す)」や「You can only go so far.(そこまでなら行ける)」など英語のことわざで表現できます。

英語表現には、回数制限はありませんね。

しかし、「仏の顔も三度まで」と同じく物事には限度という物があるということを表現する戒めの言葉なんですよ。


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