普段よく聞くけど、正しい意味を聞かれて説明するとなると、何だかあやふやでしっかり答えられない・・・。

そんな言葉って意外に多いですよね。

今回紹介する「百聞は一見に如かず」もそんな言葉のひとつ。


百聞は一見に如かず


良く使う言葉だからこそ、正しい意味や使い方は知っておきたいところ。

そこで今回は、百聞は一見に如かずの意味や使い方について紹介していきます!

改めて調べてみると、新しい発見があるかも知れませんね。

それでは、さっそく意味から見ていきましょう。



百聞は一見に如かずの意味・読み方!


「百聞は一見に如かず」「ひゃくぶんはいっけんにしかず」と読みます。

意味は、「人から何度も話を聞くよりも、自分で1回見たほうが正確である。」です。



「如かず」の意味が「かなわない」ですから、読んで字のごとく「100回聞いても、1回見ることにはかなわない」ということですね。

ちなみに、ことわざは昔から言い伝えられた教訓でもあることが多いです。

今回の「百聞は一見に如かず」も「何でも自分の目で見て確認することが大事ですよ。」という教訓ですね。 

しかし、こんなにも当たり前のことが教訓となったのはなぜなんでしょうか?

語源で確認しましょう!


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百聞は一見に如かずの語源・由来とは?

「百聞は一見に如かず」の語源をたどると、古代の中国「漢」にたどり着きます。

「語源となるお話が書かれているのは、漢時代に書かれた書物である漢書の「趙充国伝(ちょうじゅうこくでん)」 という部分です。

残念ながら原文をご紹介しても何がなんだかわかりませんので、わかりやすいように現代語に訳したものを紹介しますね。

中国が「漢」呼ばれていた時代のお話です。

漢の宣帝(前漢の第9代皇帝)が、趙充国(ちょう じゅうこく)将軍に尋ねました。

「反乱を起こしているチベットの遊牧民たちを鎮圧するためにはどんな戦略が有効で、どれくらいの兵力が必要だと、将軍は考えているのだ?」

趙充国将軍は「戦いは遠く離れたところで行われているので分かりません。現地がどんな状況なのかを百回人から聞くよりも、一度実際自分で見るほうが現状がよくわかります。私が現地に行き実際に目にしたものを地図に書き出し、戦略を練りたいです。」と答えました。



宣帝と趙充国将軍のこの会話が「百聞は一見に如かず」という言葉の語源ですね。

現代語に訳しても「百聞は一見に如かず」で使われている文字が入っているのでわかりやすいですね。

ただし、「百回聞く」はあくまでも「何回も聞く」ことの比喩表現です。

百回以上言ったら通じる、というわけではありませんから誤解しないようにしてくださいね。

さて、「百聞は一見に如かず」の語源を学んだことで、意味をより深く理解することができました。

次は例文を見ながら、「百聞は一見に如かず」の使い方を見ていくことにしましょう(^-^)


百聞は一見に如かず

百聞は一見に如かずの使い方・例文!

早速ですが、「百聞は一見に如かず」の例文を紹介していきますね。

「日本で一番高い山は富士山です。」「日本で一番大きな湖は琵琶湖です。」なんてよく聞くけれど、実際に自分の目で見てみないと実感がわかないよね。

ほら、「百聞は一見に如かず」って言うじゃない



「高い」「大きい」など、形容する言葉はたくさんありますが、やはり「自分の目で見ること」が一番ですね。

次にご紹介する、二つの例文はひとつめの例文と違った使い方をしています。

どこが違っているのか、考えながら見ていってください。

Uさん、入社したころに比べると随分と図面の意味を理解できるようになってきたね。

でも、やはり百聞は一見に如かずだよ

机の上でばかりではなく、現物も見るようにするとより理解できるはずだよ。



これは、社会人になった当初に私が上司から言われた言葉です。

会社や業種が変わっても、この言葉は私にとって一番の勉強方法だと思っています。

いくら料理本を読んでも、ウインナーの飾り切のやり方が分からなかったけど動画サイトを見てやっと分かった!

百聞は一見に如かずって本当だね



あなたはふたつの例文とひとつめの例文の違いがわかりましたか?

そうです、こちらの例文では「聞く」ということが行われていないのです!

さらに、実物ではなく「図面」や「料理本」を見ています。


図面とは、何かの機能や構造・配置を描いた絵で、料理本は、写真や絵・文章などで調理方法などを説明してあるものですね。

どちらも、書面のものであって「実物」ではありません。

しかし、図面をもとに実際に作られたもの。飾り切りを、実際にしているところをアップした動画。を一度見ることで理解が深まるということを表しています。

このように、「百回の練習や机上の勉強よりも一回の実践」というような場合にも「百聞は一見に如かず」を使うことができますよ!

こちらの使い方は「百聞は一見に如かず」の応用編というところでしょうか。( ..)φメモメモ


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まとめ

いかがでしたか?

「百聞は一見に如かず」の意味や語源・使い方を見てきました。

中国に語源がありましたね。

  • 杞憂:起こる事のないこと、必要のないことを心配すること。
  • 虎の威を借る狐:他の人の権力を後ろだてにして威張ること。
  • 矛盾:前に言ったことと、後で言ったことが違っていて、筋道が通らないこと。

なども、中国の文献・伝承に語源がある言葉なんですよ。

日本で使われている漢字は中国から入ってきた文字ですし、ひらがなは漢字をくずした文字、カタカナは漢字の一部を取り出した文字ですから影響が大きいのも納得できますね。


実は、「百聞は一見に如かず」には続きがあります。

  • 「百見は一考に如かず」いくら自分でたくさん見ても考えなければ意味が無いという意味。
  • 「百考は一行に如かず」いくらたくさん考えても、それを実行に移さなくては意味が無いという意味。
  • 「百行は一果に如かず」いくら実行に移しても成果を上げなくては意味がないという意味。

と続きます。


例文でご紹介した百聞は一見に如かず」の応用編と同じ様なものですね。

これらは原文には書かれていませんから、日本で独自に付け加えられたものです。


類語もたくさんありますよ。

  • 聞いた百より見た一つ: 人の話をいろいろ聞くよりも、実際に自分の目で一度見てみた方が確かだ、というたとえ。
  • 耳聞(じぶん)は目見(もんけん)にしかず:耳学問より実際に体験して得た学問の方が優れている、という意味で、聞きかじりの不確かさのたとえ。
  • 鯛も鮃も食うた者が知る:経験しないと知ったことにはならない、というたとえ。



英語でも表現できますよ。

  • Seeing is believing.(見ることが信じることだ。)
  • A picture is worth a thousand words.(一枚の絵は千語に匹敵する。)

が「百聞は一見に如かず」にあたります。


今回紹介した言葉は、本当によくできた言葉だと思います。

必ず世界各国に同じ教えのような言葉が、あるはずですよ!

各国は何回を沢山と比喩しているんでしょうね。

機会があれば、ぜひ調べてみてください。


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