葬式で使う用語は、耳慣れないことが多くて困りますね。
ただ社会人になって会社で働いていると、そうも言ってられません。
特に冠婚葬祭に関しては、知っていないと恥をかくことが結構ありますよ。
逆に、しっかりと言葉の意味を知っていると、周りの人からの評価が高くなることも!
そこで今回は、葬式用語の一つである「野辺の送り」の意味や語源について紹介します!
社会人として困らないように、一緒に見ていきましょう。
野辺の送りの意味・読み方とは?
近年では、霊柩車の後ろを、バスで移動することを指すこともあります。
ちなみに、葬列って言葉はあまり聞いたことありませんね。
私も数回、葬儀に参加したことがありますが、葬列は聞いたことないです。
そこで、ちょっとだけ「葬列」についても説明しておきますね。
「葬列」は、「そうれつ」と読みます。
意味は、葬送(遺体を葬るため、墓所まで送ること)のため、遺族や近所の人など、亡くなった人の関係者が「野辺の送り」のために行列を組むことを表します。
今の時代だと、火葬場まで行列を組んで歩くことはほとんどないので、聞いたことなかった訳ですね。
野辺の送りの語源とは?
「野辺の送り」は、自宅で葬儀が執り行われた際に、お墓のあるお寺まで棺を親族が担いで持っていく文化から生まれた言葉です。
「野辺」は、野原も指しますが、火葬場または埋葬地のことも意味します。
日本は昔、土葬をしていたので、野原を指す「野辺」が埋葬地のことも指すようになりました。
近年ではあまり行われませんが、もともとは葬式のうちの大切な儀礼の一つでした。
意味のところでも説明した「葬列」は、棺を中心に前後に位牌、天蓋、供え膳、水などを持った近親者が続き、先頭には松明(たいまつ)を掲げた人が立ちます。
松明には、魔払い・清めなどの意味があります。
ほかにも、棺に鎌などの刃物を付ける、道中で米や銭を道端の人に撒いたりすることも、松明と同じ意味ですね。
また、遺体は死穢(しえ、死の穢れのこと)を持つとされていて、神社の前など神聖とされる場所を避けて通り、天蓋で日光から遮って行っていました。
野辺の送りでは、家から埋葬場所に到着するまでわざわざ遠回りをします。
これは、死霊が迷って戻ってこないための呪法だそうです。
野辺の送りの例文・使い方!
- 祖父が亡くなったので、近年では珍しいが野辺の送りをした。
- 祖母の葬式の野辺の送りで、離れた火葬場までバスで行った。
ちなみに、現在でも田舎の地域では、野辺の送りをやられるところもあるようです。
自宅から火葬場まで近いところなら可能そうですが、語源で書いた野辺の送りの方法を現代で行うには少し大変そう…
故人の棺を持って、関係者一同で故人を思いながら運ぶ。とても素敵な感じがしますが、最近では親族の家族も減ってきて難しそうな感じです。
2番目の例文ですが、今日では、親族や関係者がバスなどに乗って霊柩車に従って火葬場に行くことも、「野辺の送り」と言い表すことがあります。
圧倒的に、霊柩車を使って火葬場に行くことが多いですもんね。
でも、火葬場にバスで行くことを「野辺の送り」って言っている人を、私は聞いたことがないです。
私の考えですが、「野辺の送り」はかつて葬式の中で大切な儀式の一つだったので、バスで霊柩車に従って火葬場まで行くだけのことを表現するには厳しいのだと思います。
故人に関係した人たちが、自分たちの手で埋葬場所まで運ぶ。
とても大変だけど、故人と過ごす最後の時を、故人を想いながら弔うための大切な儀式だったのだと感じました。
ちなみに、「野辺の送り」の同義語では、「野送り(のおくり)」や「葬送(そうそう)」があります。
意味も同じで、遺体を火葬場・墓地に送ることを指します。
まとめ
今回は「野辺の送り」について意味、使い方をまとめました。
意味は、亡くなった人が入っている棺を、親族・関係者が持って埋葬場所や火葬場まで運ぶことをいいました。
今では滅多にないので、霊柩車に従ってバスで火葬場まで運ぶことも意味します。
個人的にどっちかっていうと、葬式が終わって霊柩車まで親族が棺を持っていくことのが、野辺の送りっぽい気がするのですが…
ここから火葬場までの一連の動作を、現代の「野辺の送り」と言っているのかもしれないですね!
「野辺の送り」が、昔の人の風習からできた言葉で、風習の内容も説明したので、結構記憶に定着できたのではないでしょうか。
言葉がどのようにできたかも一緒に学習することで、イメージが湧きやすく、覚えやすくなります。
ご自身で調べるときもぜひ、言葉ができた経緯まで調べてみてください!
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