歴史に名を残した成功者の影には必ず女性がいるそうです。

豊臣秀吉のねね・源頼朝の北条政子・山内一豊の千代 陰で支える女性たち。

彼女たちが「内助の功」の語源に関係しているのでしょうか?

それとも、語源は別のところにあるのでしょうか?


内助の功


聞いたことはあるし、意味もなんとなくわかる。

でもなぜそう言われるのかはわからない。なんて言葉けっこうありますよね。

そこで今回は「内助の功」の意味や語源について紹介します。

あなたも、一緒に見ていきましょう。



内助の功の意味・読み方とは?


「内助の功」「ないじょのこう」と読みます。

意味は「表に出るのではなく裏で人を支えること」「妻が、夫の働き・仕事を陰から支えること」です。



女性が男性を支える場合に用いられる言葉ですね。

「内助」とは内から助ける「功」は仕事という意味ですので、簡単に言えば「助けるために内から仕事をする」ということです。

現在では、同義語の「縁の下の力持ち」の方が良く使われるのではないでしょうか。


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内助の功の語源とは?

「内助の功」の語源を調べると、戦国時代~江戸時代前期にまでさかのぼります。

戦国時代~江戸時代前期にかけて活躍した人物に、土佐藩初代藩主である武将に山内一豊(やまうちかつとよ)が居ました。(大河ドラマ「功名が辻」で描かれていた人物)

正室(本妻)の千代が夫である山内一豊のためにしたあることが語源になったようです。

さて、千代は夫のために何をしたのでしょうか。


まだ、山内家が織田家の下っ端家臣だったころに馬揃えがありました。

馬揃えとは簡単に言えば「家臣の馬がどんなものかチェックする会」のこと。

一豊は、馬揃え前に良馬を買いたいと思ったが、資金不足で買えません。

それを見かねた千代が、父から嫁入りの時に渡された大枚黄金10枚を渡しました。
ちなみに、大河ドラマでは約100万円と紹介されいましたね。

一豊はそのお金で目をつけていた良馬を買い求め、馬揃えに出たところ織田信長の目に止まることに!

当時は、馬が気になれば持ち主のことも気になる。こうして一豊は出世をしていくことになったのです。

このエピソードが「内助の功」の語源です。


内助の功

内助の功の使い方・例文!

「内助の功」の意味や語源がわかったところで、例文を使って実際の使い方を見ていきましょう。

  • 社長の功績は内助の功のおかげらしいよ。
  • 結婚をしていない僕にとって内助の功なんて無縁の話だ。
  • 妻は毎日残業でも文句ひとつ言わず食事の用意をしてくれる。まさに内助の功だ。
  • あの人が出世できたのは、内助の功があってこそだね。
  • 先生が部活動に熱心なのも、先生の奥さんの内助の功のおかげだね。

ちなみに、

  • 彼の内助の功があったから、僕はプレゼンに成功した。
  • 一見、正しい使い方にも見えますがこれは誤用です。

    「内助の功」は女性が影で支えるものです。

    この場合は

  • 彼が縁の下の力持ちとなってくれたので、僕のプレゼンは成功した。
  • としましょう。


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    まとめ

    いかがでしたか?

    ちなみに「内助の功」は英語ではこんな風に表現するんですよ。

    • The secret of my success is my better half.
    • 私の成功の秘密は、妻の支えである。

    • I owe my success to my better half.
    • 私の成功は、妻がもたらしたものである。

    すてきな表現ですね。


    意味の章でも類義語が出ていましたが、ここであらためてご紹介しましょう。

    • 縁の下の力持ち:人の目につかないところで、他人のために支える苦労や努力をすること。また、そのような人。
    • 縁の下の舞:「縁の下の力持ち」に同じ
    • 鶏鳴の助(けいめいのたすけ):妻が夫をかげながら支えること
    • 簀子(すのこ)の下の舞:世の中の知らないところで、みんなの為に骨を折ること

    「内助の功」外で働く夫のために、縁の下の力持ちとなって心身ともに支える妻。理想ですね。

    しかし、今やほとんどの家庭が共働き。家事に育児におまけに仕事。

    それにプラスして夫の身の回りのこと全てになんて手が回りません。

    そんな現代での「内助の功」は家庭を気持ちが和む空間を作り、収入に合った身の丈の生活をすることなのではないでしょうか。

    かゆいところに手が届く」そんな感じでお互いを思いやることが大切ですね。


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