「三つ子の魂百までいうけど、彼って相変わらずね。」
久ぶりの同窓会で聞こえてきた言葉。
この時、彼女は嫌味を込めて、このセリフを発したのですが、悪い意味の言葉だったっけなぁ?
と気になってしまいました。
何となくこんな感じだったかな?と使ってしまっている言葉って意外と多いですよね。
間違って使って恥をかいてしまう…そんなことにならないように、三つ子の魂百までの意味や語源・使い方をしっかりと見ていきましょう!
三つ子の魂百までの意味・読み方
ここでちょっと単語に分けて、意味を掘り下げて見たいと思います。
「三つ子」とは、三歳の子供という意味で双子・三つ子の「三つ子」のことではありません。
「幼児」の総称として使われているんですよ。
同じく、「百」も厳密に「百歳」さしているわけではなく、「死ぬまで」という意味になります。
そして、「魂」は「性格や性質」を指しています。
実は、ここが一番間違いやすいポイントなんです。
「三つ子の魂百まで」の「魂」を「幼いころに覚えたことや習ったこと」と勘違いしてしまうのです!
「魂」が表しているのは、「性格や性質」ですから、このことを覚えておきましょうね。
三つ子の魂百までの語源・由来とは?
実は「三つ子の魂百まで」の語源ははっきりとはしていません。
そこで、今回は有力説といわれるものを紹介しますね(*´▽`*)
もっと有力といわれている説は、何とあの有名な「源氏物語」なのです!
ご存じの通り「源氏物語」は、平安時代に紫式部が書いた「光源氏」を主人公にした長編物語です。
こちらの物語に、「筆取る道と碁打つこととぞ、あやしう「魂」のほど見ゆるを、深き労なく見ゆるおれ者も、さるべきにて、書き打つたぐいも出来れど」という一節があります。
これが語源の有力説であると言われているんですよ。
分かりやすいように、現代語に訳してみましょう。
「書道と囲碁を打つことは不思議と生まれついての才能で差が出るものです。苦労して練習したように見えない人でもその才能によって、書いたり打ったりすることが出来るのです。」と、なります。
簡単に言えば、持って生まれた才能で、書を書いたり碁を打ったりしていることを表現している文章ですね。
「三つ子の魂百まで」の意味にぴったりと当てはまります。
しかし残念ながら、直接「三つ子の魂百まで」という言葉が出てきている訳ではありません。
ですから「これが語源です!」と言い切るには決定力にかけるのでしょうね。
三つ子の魂百までの使い方・例文
では、「三つ子の魂百まで」の正しい使い方とはどういった使い方なのでしょうか?
例文を使いながら紹介していきますね!
ふたつの例文を見ていただきました。どちらも「小さいころからの性質」について書かれた文章ですね。
ひとつ目の例文は良い意味で。ふたつ目の例文は悪い意味で「三つ子の魂百まで」を使っています。
そう、こちらはどちらの意味にでも使える言葉なんですよ。
こちらは、間違った使い方の例になります。
意味の章でご紹介していた通り「幼いころに覚えたことや習ったこと」は含まれません。気を付けましょうね。
と、このように「三つ子の魂百まで」を使います。
人の行動に感心したとき・呆れたときなどを表現するのに、使ってみてくださいね。
良い意味にも、悪い意味にも使えますよ!
まとめ
いかがでしたか?
「三つ子の魂百まで」の意味や語源・使い方を見てきました。
最後に、「三つ子の魂百まで」の類語を紹介します。
- 雀百まで踊り忘れず:人が幼い時に身につけた習慣は、年をとっても直らない。
- 頭禿げても浮気はやまぬ:人間はいくつになっても色気があるから、浮気というものは収まらないものだということ。
- 産屋の癖は八十まで治らぬ:幼い頃の性格は年をとっても変わらないということの例え。
- 病は治るが癖は治らぬ:病は治るが癖は治らぬ。
- 噛む馬はしまいまで噛む:悪い性質や癖は容易に変えられず、死ぬまでなおることはないという事。
- what is learned in the cradle is carried to the grave.:ゆりかごで学んだことは墓場まで運ばれる。
表現によっては「幼いころに覚えたことや習ったこと」を含むものがありますね。
「三つ子の魂百まで」と類語を上手に使い分けてくださいね。
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